きゃろっと

キューブのことメインで書きます。

苦しい

今回はただの典型的な自語りになります。自分で読んでみて相当痛い感じになっております。

本題

 僕は今回の2学期中間試験の英語において平均点を切る結果を取りました。英語が一番得意だった自分としては最低点でもあったこの点数にとてもショックを受けたわけですが、心機一転、勉強を頑張ろうと思いキューブを封印した次第です。これを決意した時に感じた心ぐるしさみたいなものがテーマです。

 もちろんのことキューブやほかの趣味であるピアノなどはとても楽しいものであり、また時間を忘れるほどに没頭できるものでもあります。僕はこれらの趣味を一つのアイデンティティとして持っていました。自分を構成する一つの要素であり、これがなければもはや自分ではない何か別の存在になってしまう、と捉えるものです。もちろん理想形は趣味を楽しみながら勉学にも励むというものです。ですが時間を忘れるほどに没頭できるという性質上どうしても勉学とこれら趣味の両立はとても難しいものとなります。ですが今回の結果も鑑みて流石に勉強をせねばならないという感情が、焦燥感とともに発生しました。しかし勉強とは圧倒的にやりずらく、またイライラしやすく、時折無意味に感じるものです。こんなことしてるなら趣味をやりたいと当然思います。僕はこのジレンマに今まで打ち勝つことは出来ず、ずっと成績は低下の一途を辿ってきました。

 そして、僕にはもう一つ不安があります。それは、期末に向けて勉強を頑張ったとしてもその時の成績が奮わなかった場合です。具体的に言うと、自分を捻じ曲げて頑張ったことが報われなかったときどうなってしまうんだろうという不安です。まあすべてはやってみないと分からないわけですが、どうしてもそういう危機感を感じてしまいます。また先ほど言ったように趣味を楽しんでいないときの自分は本来の自分ではないと感じるため、もし勉強が上手く進んでよい成績をとれるようになったとしても自分は趣味が出来ていない方が深刻なのです。仮に趣味に没頭し大学も入れず仕事が無くなって住処が無くなって最終的に死んでしまってもそれでもいいと思うくらいに"今"趣味にのめり込みたいんです。「今」満足したいんです。成績などどうでもいいんです。上がろうが下がろうが進級出来なくなろうがどうでもいいんです。

 ですが死ぬなんてことは望んではないので現代社会で生きる以上それなりに学力が必要であることも分かっています。なので一回勉強を頑張ってみようという決意をしたということです。自分を犠牲にしているので中途半端にしたくはないし、絶対に趣味に打ち込んだ瞬間に全てが崩壊するので今だけでもキューブをやめてみようと思ったわけです。すぐに趣味に戻るかもしれませんが、3年後でも、10年後でも、死んだ後でも、いつか趣味に没頭するために戻ってきます。